最期の日

骨折して5日目の朝、急いで病院へ連れて行きました。相変わらず、何も食べていない上に、昨夜は吐き気との戦いで、鳴く力もなく、肩で息をしているような感じでした。
骨折

そして、この日、小太郎は最期を迎えます。

今回は、小太郎の最期を迎えるまでの様子を書きたいと思います。

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血液検査

朝一番に、小太郎を病院へ連れて行きました。先生に昨日の様子を説明し、未だに水、ごはん、おやつを口にしないことを伝えると、「ちょっと、血液検査をしてみます」と言われました。

通常、骨折の診療時には、血液検査をするそうなのですが、夜間病院ではされていませんでした。

先生は、多くの骨折は交通事故が多く、その場合は必ず血液検査をするけれど、小太郎の場合、交通事故ではなかったので、血液検査をしなかったのかもしれないと言われました。

検査の結果、腎不全を起こしていて、小太郎の以前のデータがないので、慢性なのか急性なのかが、判断できないとの事でした。

先生は、「もっと早く血液検査をすればよかった。腎不全を起こしているので、食べないし吐き気もするはずです。もし慢性の腎不全で、毒素が回っていたら打つ手がない」と言われました。

余命宣告と取れる言葉に、泣きそうになるのを必死にこらえ、小太郎は一生懸命生きようとしているのに、私が泣いている場合じゃない、そう自分に言い聞かせました。

強めの吐き気止め注射と、栄養剤の点滴をしてもらいましたが、人の点滴とは違い、針を刺し、ギュッと点滴を握りつぶすような感じで、一気に皮下に入れるそうで、すぐに点滴は終わり、小太郎も落ち着いた様子に見えます。

帰宅

母は、お腹の調子が良くないので病院に行くと言っていて、小太郎の点滴中に送るつもりでしたが、点滴がすぐに終わったため、帰る途中の駅で母を降ろしました。

私は小太郎と家に帰り、母の帰りを待ちます。母が帰って来たら仕事に行くつもりでいました。でも、もし毒素が回っていたら・・・と言う先生の言葉が頭をよぎります。

小太郎は帰って来てからも落ち着いていて、呼吸も整っているようでした。ただ、寝ているわけではなく、一点を見ているような、そんな感じです。

目に力がないように思えました。しばらくはその状態だったのですが、家に帰り着いて50分が経った頃、息が荒くなってきました。

体も震えていて、私は暖房の温度を上げ、小太郎の体を摩りながら名前を呼びました。また、吐き気と闘っているような感じに思えます。

しばらくすると、肩で息をしはじめました。その頃、母から病院を出たと電話があり、私は、小太郎が苦しんでいる事を告げ、すぐに電話を切りました。

最期の時

息が荒くなってから、もう50分ほど経っています。その時、寝たままの状態だった小太郎が、頭を上げました。

そして、私の方を見て、ゆっくりと二回頭を下げ、また寝たままの状態に戻りました。

別れの挨拶のようなその仕草に、嫌な予感がした私は、名前を呼び続けました。その時、小太郎の体がピーンとなり、それと同時に、排尿をし、小太郎の身体から力が抜けていきました。

私が名前を呼ぶと、口だけを少し動かします。二度目も三度目も、口を動かし返事をしてくれました。

でも、四度目の返事はなく、私は何度も何度も名前を呼んでみましたが、やっぱり返事は帰ってきませんでした。

私は、小太郎の頭をなでて、「小太郎ちゃん、よく頑張ったね、そして、17年間ありがとう」と言いました。その時、母から電話があり、私は母に小太郎の死を告げました。

母は、電車の待ち時間が1時間近くあったので、タクシーを探したけれど見当たらず、友人に迎えに来てもらって、家に向かっている途中でした。

平日は、私に代わり小太郎の介護をしてくれていた母にも、看取ってほしかったけれど、小太郎の二度のお辞儀は、一つは私に、そして、もう一つは看取れなかった母と甥っ子に、小太郎が最後の力を振り絞ってしてくれた別れの挨拶だったと思っています。

甥っ子に連絡をすると、今日はまだ、家に寝かせておいてほしいと返事が返ってきました。

私は、小太郎をかわいがってくれた弟や、他の甥っ子にも連絡を入れました。そして、私と小太郎を引き合わせてくれた近所の方にも母が知らせました。

ペット斎場へ電話

近所の方の愛犬は、一年前に亡くなりましたが、その時にお世話になったペット斎場のスタッフの方が、とても親切で、お骨も最後の一本まで拾ってくれたと教えてくれました。

私が住んでいる市にも、ペット斎場はあります。でも、近所の方の話を聞いて、そのペット斎場にお願いしようと思いました。

電話をかけて、最初に小太郎の体重と希望の時間を尋ねられ、注意事項として、ワンちゃんが傷まないように、体の下に保冷剤を敷いて、まだ足が曲げられるのであれば、曲げてあげて下さいと言われました。

大型犬の火葬炉もあるそうですが、足を曲げていない場合、火葬炉に入らない事があるそうです。

最後のお世話

電話を終えて、また泣きながら、小太郎を綺麗にしました。私がしてあげられる最後のお世話です。

口の所に敷いていた小さいペットシーツには、嘔吐の跡が少しあり、大きいペットシーツも、排尿で汚れていたので、その二つを替えました。

小太郎の体はまだ温かく、その温もりにまた涙が出ます。号泣しながら、体のできものにガーゼを当て、テーピングで留めました。

白毛だからわかりにくかったのですが、白髪になっているせいでしょうか、小太郎の体は真っ白に輝いて見えました。

小太郎は、中型犬だったので、足は曲げませんでした。なぜなら、骨折をしていたので、私が曲げたくなかったのです。

亡くなってはいるのですが、曲げている時に、骨が折れたりしたらかわいそうです。保冷剤を小太郎の体の下に敷き、顔を拭いて、ハンカチをそっと被せました。そして、お線香を焚き、庭の花を供えました。

そして、その後、遺影を作りました。遺影に使う写真を探していると、その一枚一枚に思い出がよみがえってきて、涙が溢れます。

明日の準備をしながらも、悲しくて涙は止まらないのに、思考回路は動いています。

今思えば、何かをしてないと、悲しさに押しつぶされそうだったのと、小太郎にしてあげられる最後の事だったからだと思います。

夜になり、甥っ子が帰ってきてお別れをしていました。また、そこで涙がこぼれます。別に住む甥っ子達も来てくれました。三人の甥っ子は、小さい時から小太郎と一緒に過ごしてきたので、ショックも大きかったと思います。

夜になると、ますます悲しさと寂しさが強くなり、外飼いだった小太郎が亡くなったのに、何故か家の中から一人いなくなったような感覚でした。

最期の日を振り返って思う事

あの日の私は、覚悟はしていたものの、それが『今日』とは、全く思っていませんでした。

心にぽっかりと穴が開き、何もしたくないのに、小太郎の服を洗ったり、寒さ対策をしていた車庫を片づけたり、テキパキと動いていたように思います。

でも、それは、小太郎がいないその場所を、早く片付けたかったのだと、今は思います。

あの頃は見る事さえできなかった、小太郎との思い出の動画も、時間が出来たら、DVDにまとめようと思えるようになりました。

写真から、あなたのペットをフィギアにしてみませんか?

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